腰にピリッと痛みが走ったのは、旅館に到着後、温泉に入ろうとしたときだった。脱衣場で変に体をひねったのだろう。初めてのことで、そのときは大ごとになると思っていなかった。 1982年の囲碁名人戦7番勝負は、当時の趙治勲名人に私が挑戦した。第2局の前日に関西入りし、確か大地真央さんが主役だった宝塚大劇場の舞台げいこを見せてもらい、夕方、対局場の旅館に入るまでは上機嫌だった。道々、ぎっくり腰をやったばかりのスタッフの1人を冷やかしていたが、その日に自分におはちが回ってくるとは思いも寄らなかった。
湿布をしたりして関係者との夕食会は何とかこらえたが、夜になって痛みは増す一方。その晩はほとんど寝られなかった。
そして対局1日目。通常通り、定刻の午前9時に正座で1礼し、対局が始まったが、どうにも我慢できない。30分ほどたったところで「許されるのなら、自分の持ち時間のなかで治療をしたい」と立会人の石井邦生9段らに申し出て、救急車を呼んでもらった。タクシーに乗るのもつらい状況だったのだ。ちょっとでも動かすと悲鳴をあげるような痛さで、介添えをしてくれた人に、わめき散らした覚えがある。
多くの方々に迷惑をかけたなかで、特に旅館のご主人にはお世話になった。救急病院での治療のあと、内科医で痛み止めの注射をうってもらったが、ずっとつきっきりだった。
おかげで昼前には対局場に戻ることができた。昼過ぎに対局を再開し、私が打ったのがようやく7手目。この手にかけた時間は2時間33分と記録され、早打ちの私としては、異例の“大長考”となった。
私が病院に行っている間に、対局場がいす席に模様替えされていたのには驚いた。腰に負担がかからないようにとの配慮で、スタッフの方々や、席の変更を快く承知してくれた趙さんには感謝の言葉もない。木谷道場の先輩である私に、趙さんは最大限の配慮をしてくれたのだと思う。
治療のかいあって1日目の午後にもう1度病院に行った以外は、通常通りに対局できた。2日目には落ちた石を拾えたほどだ。
結局、この対局は私の中押し負けとなったが、ここまで世話になってみっともない碁は打てないという気持ちが強く、内容的には悪くなかったと思う。尋常でない状況で緊張感を持続できた趙さんもすごい。
そんな苦い経験をしたにもかかわらず、生来、努力家でない私はその後もきちんと体調管理していない。立会人として同行したときに持病の痛風が出て、関係者に迷惑をかけたこともある。ただ、ずっと世話になっている医者がいて、何でも相談している。これが唯一の健康法かもしれない。
結局、棋士は自分で健康管理するしかないのだが、昨年末に急逝した加藤正夫名誉王座のケースは、棋士、日本棋院理事長として囲碁界を担う人材だっただけに何とも悔やみきれない。50歳を過ぎて健康にはむしろ自信を持っていたのに――。身近にいた先輩として、気持ちの整理がいまだについていない。
◇「恥ずかしい碁、見せられぬ」失敗訓
「林海峰名誉天元や趙治勲10段ほど碁に真摯(しんし)に取り組んでいない」と言う大竹だが、対局中に食いしばった歯が飛んだり、胃が切れて吐血した経験があるそうだ。恐ろしいほどの気合の集中である。
ぎっくり腰で対局を全うできたのは、そうした集中力によるものだろう。「恥ずかしい碁は見せられない」というトッププロの誇りが支えとなった。優れた技量に加え激しい気合のぶつかり合いがなければ、面白い棋譜などできない。(編集委員 木村亮)
おおたけ・ひでお 1942年、福岡県生まれ。51年木谷実九段に入門し56年入段、70年九段。碁聖は連続6期を含め7期、十段5期。タイトル通算獲得数48期は歴代4位の記録。
[2005年10月3日/日本経済新聞 朝刊]