5月24日に16歳になったばかり。普通なら高校1年だが、自ら進学の道を捨て、プロ棋士として腕を磨く毎日だ。12歳10カ月での入段は趙治勲十段に次ぎ、林海峰名誉天元と並ぶ2番目に早い記録。入段4年目にしてトップクラスの棋士とも互角に渡り合っている。韓国、中国に比べて若手の育成が遅れていると言われる日本で、次代を担うホープとして周囲の期待は高まる一方だが、本人は「実力はまだまだ」と至って冷静。半面、「当面はNHK杯などで頑張りたい」「将来はリーグ入りを目指したい」と意欲満々だ。幼さも残る顔立ちに似合わず、プロ棋士としての自覚は十分。タイトル戦線に躍り出る日も、そう遠くはなさそうだ。
(聞き手は日本経済新聞社文化部編集委員 木村 亮)
――最近、放映されたNHK杯で彦坂直人九段を破りました。
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| 史上2番目の若さでプロデビュー、次代を担うホープとして期待が高い井山裕太四段 |
内容は悪かったのですが、中盤で彦坂先生に見損じがあり、運よく勝つことができました。中学のときの友人や、父や母の仕事仲間から『おめでとう』の電話を何本かいただき、とてもうれしかった。その後、本因坊戦で小林覚九段と対局し、最終的には負けましたが、途中までは悪くない碁でした。トップクラスの棋士と打てるようになり、少しは力がついたかなと思っています。――碁を教わったのはやはり父親から?
父がテレビゲームで遊んでいるのを見て興味を持ったのが最初です。5歳のときでした。ですから初めは画面上でしか打ったことがなかった。父も初心者でしたので半年ぐらいで抜きました。祖父がアマ5、6段で、その後、年配の方々などがよく碁を打っている場所に連れていってもらいました。
9路盤で勝ち抜き戦をやるテレビ番組があり、母が応募して出場したところ、5人抜きを果たしました。6歳のときです。当時、アマで2、3段ぐらいだったでしょうか。その番組の解説をしていたのが石井邦生先生(九段)で、それがきっかけで石井先生と知り合うことができました。
――子供の大会で優勝しています。
小学校2年のとき少年少女名人戦に出場し、小学生部門で優勝。翌年、3年のときも勝ち、連続優勝しました。当時は本とか詰め碁には興味がなく、もっぱらネットでよく石井先生に打ってもらっていました。手合いは3子か4子だったと思います。
その実績により、3年のとき中国・北京の少年少女大会に特別に日本から1人だけ出場が認められました。9歳でしたので11歳以下の部に出たのですが、結果は5勝4敗で60人中29位。日本では敵なしで、行く前は負けるわけがないと思っていただけにショックでした。特に8歳の子に負けたのは、年下に負かされたのは初めてだっただけに大きなショックを受けました。しかも向こうでは負けてたたかれて泣く子もいて、その厳しさにも驚かされました。
――その後、院生修業が始まります。
中国から帰ってすぐに、石井先生の推薦により日本棋院関西総本部の院生になりました。中国行きは、院生になる前の武者修行の意味合いもありました。文字通り石井先生の弟子になったわけですが、先生のご自宅が宝塚、私の家が奈良と離れていたこともあって、もっぱら土日に打った私の棋譜を郵送し、論評を加えて送り返してもらうパターンでした。
もっとも院生になって1年ぐらいは、棋譜を見てもらう以外、あまりまじめに勉強しませんでした。プロになりたいという強い気持ちがなかったためで、友達とテレビゲームで遊んだり、外で遊んだりすることが多かったように思います。手合いの成績は当然悪くなり、石井先生からは『少しは勉強しなさい』としかられました。温厚な先生ですが碁のことになると厳しい先生です。私自身も成績の低下が悔しく、碁に没頭したというほどではありませんが、多少勉強時間が増えました。
本気でプロになりたいと思ったのは5年生、11歳のときです。その年は大阪と名古屋の院生の中から1人だけプロになれる年で、私は大阪で2位となり、大阪の上位2人、名古屋の上位2人の計4人によるリーグ戦(各2局ずつ)に出ました。結果は3勝3敗。入段のチャンスを目の前で逃し、ようやくプロになれなかった悔しさを感じました。翌年は大阪から1人プロになれる年で、院生のリーグを71勝8敗で乗り切り、1位でプロ入りを決めました。
――プロ入りしてからの手応えはどうですか。
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| 「超一流の先生方と打ってみたい。特に趙治勲十段との対局は楽しみ」と抱負を語る井山四段 |
プロ入りが決まったときは不安がありましたが、その年に二段になれてやっていけるような気がしました。1年目の21勝4敗は、実力からみてやれた方だと思います。2年目の32勝13敗は、成績自体は悪いことはないのですが、碁の内容に自分らしさが出ていなかった。ただ、その年に石井先生と初めて当たり、勝った碁はよく覚えています。3年目の25勝7敗は、強い人とも当たったうえでの成績なのでまあまあかなという感じ。4年目はさらに強い人と当たっていますが、(5月末まで)15勝4敗です――今年3月で中学を卒業しましたが、高校進学は考えなかったのですか。
祖母は高校に行ってほしかったようですが、両親は好きなようにしていいと言ってくれました。私自身は『悔いのないようにやりたい』という思いから高校に行く気はありませんでしたし、かなり早い段階から、棋士に専念すると決めていました。
――普段はどんな方法で碁の勉強をしているのですか。
入段当初から若手プロや院生の10人ほどで研究会を作って毎週火曜日に集まっています。また、月に2回、関西棋院の研究会があって、結城聡九段や坂井秀至七段ら多くの棋士が集まるのですが、そこにも顔を出すようにしています。東京でよくお世話になるのが王銘エン九段や釼持丈七段で、東京で手合いがあると、その翌日にご自宅などで勉強させてもらうこともあります。以前にネットで釼持先生とは知らずに打ってもらっていたこともありました。藤沢秀行名誉棋聖の主宰する合宿にも参加したことがありますが、とても勉強になりました。
――今後どんな碁を打ちたいか、将来の目標についても教えてください。
以前は切れるところは切るというような碁で、とにかく目いっぱい打っていましたが、そういう碁ではさすがに勝てなくなってきました。ヨセには多少、自信がありますが、超一流の先生に比べるとまだまだですし、半目勝負を読み切るのはやはり大変です。
とにかく一局一局を大事に打ちたいと考えています。当面は、勝ち残っている新人王戦や、NHK杯で頑張りたいですし、長期的にはリーグに入って超一流の先生と打ってみたいと思っています。特に趙治勲十段は、無敵の時代の印象が強烈で、これまで指導していただいたことがないので、手合いでも何でも教えてもらえる機会を楽しみにしています。
井山 裕太(いやま・ゆうた)四段 1989年5月24日、大阪府生まれ。石井邦生九段門下。2002年入段、同年二段。03年三段。05年四段。 |